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日中、代々木公園で練習。薄曇りで走りやすい。東京オリンピックのときに作られたので園内の木立も大きくなり、木陰もたっぷりできていて、環境は本当に素晴らしい!トリムコースは2キロほどだが走り方によっては芝生も土道も緩斜面も使えるから市民ランナーにとっては天国だ。都内23区すべてにこんな環境の公園があっても不思議じゃあない。道路や議員宿舎に税金の使い道を考えるなら、介護士の処遇をもっともっと改善したり福利厚生を豊かにして安心して健康に暮らせる日本をつくることが先決だろう?…走りながらさまざまなことが頭をよぎるものだ。
境目なく梅雨が明けた。気象庁の発表は「関東地方、梅雨が明けたらしい・・」だと。急激な気温上昇をもたらす夏だ。昨日、日中50分ほど走ってみたがやはり、日中のランニングは危険。事前にかなりの水分を摂ってスタートしても追い付かない。帰ってきて腕をみたら軽く鳥肌状態。これは脱水の予兆。かかってしまうと簡単には回復しないし、何よりも重篤になる恐れがあるから、まず、日中のランニングは極力避けて、3時以降夕方のランニングを勧めたい。大体、今から二十年くらい前まで、夏の暑さといっても、せいぜい32~3度だったはず。35度とか37度は異常気象に数えられたものだ。自然環境も破壊してしまう人間って、本当に罪深い生き物だと、走っているとつくづく感じずにはいられない。
衛星放送で市川崑監督の「東京オリンピック」を観た。制作は1964年でオリンピックが東京で開催された年。公開された当時、作品評では駄作、とされていたような気がする。当時十代だった私も劇場で観た。カラーが美しく、部分スローの表現が印象に残っている。東京大会では80メートルハードルの依田郁子さんが決勝に進み、その活躍が期待されていた。依田さんがスタート前、集中力を高めるために村田英雄の「王将」を口笛で吹いていたことも後日話題になった。マラソンの円谷幸吉がラストの競技場で英国のヒートリーに抜かれ銅メダルだったことも、後に悲劇的に扱われたことで覚えている。円谷は父親に「走れません、もう疲れました」の遺書を残して自殺したのだが。
映画に話を戻そう。当時は駄作と云われたが、実は市川崑監督、このドキュメント映画の作品意図が一般観客が求めがちになる成績や個人の思いを描いたのではなく、オリンピックを開催国の民衆や関係者、選手の表情、声、パフォーマンス前の準備動作、競技中の表情、国の対応内容の断片、などを通じて描きたかったらしく、いま、改めて見なおすとその感性、完成度は秀逸である。ランナーには是非、一度観て欲しい作品である。
梅雨が中休み。
土曜日には東北地方で大きな地震。日本は地震国だから何時どこで起きても不思議ではないけれど、防災対策のお粗末さには国民のひとりとして憤りに近いものを感じてしまう・・・。地震発生のときは自宅にいてテレビを観ていたが、「日テレ」のテロップや現地映像が早かった。「NHK」に切り替えたら地震襲来の直前の避難放送をやっていたけど、既に揺れ始めていた。やはり予報は難しいのだろうか?
土日は東京夢の島で第7回目の「グリーンチャリティリレーマラソン」を開催した。 7回目にして参加者も2500人近くなり、ようやくこのイベントが定着してきた感がある。 江東区の山崎区長、陸上競技協会の青地会長はじめ、夢の島陸上競技場の協力は大変ありがたく、感謝に堪えない。市民ランニングの普及は「走ること」だけが目的ではなく、「スポーツ=健康=医学=食生活の見直し(栄養)=親睦=連帯感=ボランタリティ醸成」など実に多くの、そして広い分野への効果を生み出してくれる。 「先ず、楽しんで、そして高みを目指す」。市民に普及したランニングスポーツの持つ効用を社会のレベルでもっともっと弾力的に受け入れて欲しい、と願っている。 今回の大会には丸山和也さん、杉浦太陽クン、ギャオス内藤さん、白石みきちゃんなど、沢山のタレントさんも忙しい中をぬって来場してくれた。 参加者のみなさんもサプライズな出来事に大いに楽しんでくれたことと思う。 この大会が家族・ランニング愛好者・職場の仲間など多くの人たちの楽しみとして成長してゆくよう、運営方としての工夫を更に重ねてゆきたい。
土日は東京夢の島で第7回目の「グリーンチャリティリレーマラソン」を開催した。 7回目にして参加者も2500人近くなり、ようやくこのイベントが定着してきた感がある。 江東区の山崎区長、陸上競技協会の青地会長はじめ、夢の島陸上競技場の協力は大変ありがたく、感謝に堪えない。市民ランニングの普及は「走ること」だけが目的ではなく、「スポーツ=健康=医学=食生活の見直し(栄養)=親睦=連帯感=ボランタリティ醸成」など実に多くの、そして広い分野への効果を生み出してくれる。 「先ず、楽しんで、そして高みを目指す」。市民に普及したランニングスポーツの持つ効用を社会のレベルでもっともっと弾力的に受け入れて欲しい、と願っている。 今回の大会には丸山和也さん、杉浦太陽クン、ギャオス内藤さん、白石みきちゃんなど、沢山のタレントさんも忙しい中をぬって来場してくれた。 参加者のみなさんもサプライズな出来事に大いに楽しんでくれたことと思う。 この大会が家族・ランニング愛好者・職場の仲間など多くの人たちの楽しみとして成長してゆくよう、運営方としての工夫を更に重ねてゆきたい。
フランスの製薬会社サノフィ・アベンティス社からの依頼で「糖尿病プレスセミナー」に参加した。
戦後、日本の文化がアメリカナイズされてゆくに連れて、食生活も大きな変貌を遂げた。
それは功罪両方を日本人にもたらしてくれたが、罪のほうを言うと糖尿病患者の激増が挙げられる。
聞いて驚いたのだが、「今、世界中で10秒に一人が糖尿病で命を落としている」というのだ。日本でもおよそ390秒に一人の割合で死亡者がいるそうである。これは凄い数。
罹患者も年間80万人ずつ増えていて、厚生労働省も「糖尿病の特定検診」を国民に義務づけたほどだから、現代社会での脅威といえる。
糖尿病はなかなか自覚症状が出にくく、極度の疲労感や視覚への違和感が現れてきてからでは手遅れになるらしい。
難しい話だが、健康診断を受けたとき、血液検査の中で、“グリコヘモグロビンHbA1c”という成分に注目しておくことが大切だと教えていただいた。目安はこの成分数値が6.5%未満なら安心していても良い、とのことだ。半年か1年に1回の健康診断時はこの数字に注目して欲しい!
予防はやはり「食事の摂り方」と「適度の運動」が一番。
身体が動かなくなったら人生生きているのも苦痛になってしまう。
自分の身体は誰も守ってくれない「自分持ち」ということですね!
今日から6月、鮎の解禁日。
ここ1週間はぐずついた天気が続き、うっとうしかった。今日は打って変わって夏のような日差し。大磯町の城山公園~万代の森を巡るおよそ8kmのコースを走る。昨日は風が強く走りづらかったが今日は快適!
大磯の山は小高い。山全体を覆う新緑が少しずつ深みを増し始めていて美しい。山と山の狭間には小さな田んぼがまだある。ちょうど田植え前の時期、これから植え付けが始まるため、どの田んぼも手入れをする農家の方の姿が見受けられる。耕運機で田んぼの床を耕す人。苗の植え付けには柔らかく、水と空気たっぷりの床が必要だからこの田の代の準備が大切らしい。苗はおそらく「苗床」で育てられ、植え付けを待っていることだろう。
まもなく「田植え」がはじまる・・・。
走り終えて腹筋200回、背筋10×3セットとストレッチをする。
第14回野辺山ウルトラマラソンが無事に終わった。
過去最高の参加者が国内屈指といわれる厳しいコースに果敢にチャレンジ、危ぶまれた天候もスタート時には過去最も条件が良い環境でのスタートとなった。
14年前、このコースを創ったときにはあまりの高低差とダートの多さから冗談だろう?といわれたものである。
標高1900m付近に位置する八ヶ岳林道、35km地点からわずか6kmで1000m以上下り、60kmから再び11kmに及ぶ峠越えの上りが配されたコースはランナーに強靭な筋力と精神力を容赦なく求めてくる。
100kmの中にこれほどの要求を求めてくるコースは稀である。
しかし、アスファルトコースが殆どの国内100kmマラソンにあって、「ダート路面を含め、これほど圧倒的に自然地形と対峙するウルトラマラソンはここでしか味わえないだろう」というウルトラマラソンを提案したかったのである。
そんな訳で“野辺山=厳しい”というイメージがランナーの間で飛び交っていたのだが、最近のランナーに感想を聞くと「厳しいから走り甲斐がある」とか「ここを完走すればどこでも走れるから」とか言った声が多くなった。このことはウルトラランナーの走力が上がったのか、ウルトラマラソンに求める質が変化してきたのか?いずれにしても野辺山フリークが増えていることは確かである。
今から5年前、ギリシャスパルタスロンの大会会長チャキーリス氏にこの野辺山をみて頂く機会があった。スパルタは246km、野辺山は100kmだから比較の意味ではなく、日本のウルトラマラソン事情を見てもらうことが目的だった。会長からはまさに「タフなコース」という感想を頂いた。
以来、このコースを10回完走したランナーへは、心身のタフネスさを称える称号として「デカフォレスト」(ギリシャ原文はデカキスニキティス⇒10回完走の勝利者)という勲章を作った。デカはギリシャ語で「10」、フォレストは「森」という意味で「八ヶ岳の森を10回駆け抜けたランナー」という意味である。
このデカフォレスト達成者には別カラーのゼッケンと特製ポロシャツを差し上げているが、ウルトラマラソンは単に筋力や走力・精神力だけでなく、人間として懐の深さも必要なスポーツ、ということ併せ考えると形ではなく、もっと別な称え方を考えなければならない、と感じた大会だった。
