皇居ランニング

2007年12月17日
皇居のランニングコースでチャリティマラソンに参加  12月16日(日)晴れ。皇居のランニングコースでチャリティマラソンに参加した。
 いまや、ジョギングメッカの皇居だが、国内のジョギングブームに火をつけたのはここだと聞いている。昭和50年前後、商用で来日した外国人が滞在中、朝食前に皇居周りをジョギングしている姿を見ていた日本のサラリーマンやOLたちが真似て走り始めたことかららしい。昭和51年に創刊された市民ランニングの専門誌が誕生したのもこの頃。それまでは「長距離を走る人」は一般人から見ると別世界の人で、彼らはアジア大会やオリンピックなどで、自分たちに代わって世界を相手に戦ってくれる「特別な人」「特別な世界」であった。だからジャージやランニングウェアに身を包んで戸外を走ることすら気恥ずかしい感じがして、(私自身)人知れず積む練習も目立たない服装で、夕方か夜間にやっていたものである。ところが最近は健康志向もさることながら、おそらくは「シャイな日本人」の自己表現方法のひとつとして、市民マラソン大会への出場が出現し、一気に広まっていったのではないだろうか?あるいは、戦後、「国の復興は経済から」を合言葉にひたすら仕事に邁進してきた市民が、何かを楽しむことに目を向け始めた深層心理の発露、と受け取れなくも無い。
 このトレンドは、若者たちからではなく、40代以降のいわば中高年を中心に湧き上がっていたことも興味深い。かくいう私もこの時期からランニングを始めている。距離設定も最近こそ、フルかハーフがメイン種目になっているが、当時は15キロとか30キロとか、バラエティに富んだ大会があった。これは、規制するコースの道路事情や運営体制が背景にあったものと思われるが、ひとつには、ランナー自体の走力も微妙に関係していたのではないか?と思う。さらに、市民マラソン大会への参加が「有料」になったのも大きな変化である。マラソン大会への参加に金を払う習慣自体がそれまでの国内にはなかったのだ。【マラソン ⇒ 健康 ⇒ 体力向上 ⇒ 「公が開催するもの」 = 無料 = 常識】が一般的だった。これは戦後始まった「国民体育大会(国体)」が文部省(現、文部科学省)主導で行われていたことや、日本体育協会がその運営組織の束ね役(今もそうだが)として傘下の組織を主導していたことに起因していたものだ、と思える。スポーツ=教育、という概念があり、その呪縛から市民が解き放たれたことを示唆した変化の兆しだったのかも知れない。
 ところで、「皇居ランニングコース」は毎年、テレビの仕事で何周も走っているので、今までの周回数は数えきれないほどだが、ゼッケンをつけて走るのは20数年ぶり?大勢の参加者に混じって、ゆっくり走る皇居外周は、心地よい開放感に包まれ、実に爽快!だった。

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