アースマラソンサポート記 北米横断10日目

2009年3月23日
 砂漠の気候は気紛れ。昨日スタート時の気温が13℃あったのに今朝は4℃。なんという違いだろう?カリフォルニアもアリゾナ寄りの砂漠になると人家は勿論、道行く車すら少ない。

 寛平さんの一日の走行距離をアベレージで45〜50キロに設定しているが、アメリカは広大な大地を持つ国。砂漠地帯に入るとモーテルはおろか、人家すら50キロ以上無くなり、場所によっては100キロ以上移動しないと宿がないこともあたりまえになる。

 今日はスタート地点までモーテルから60キロの移動。6時40分、地平線にでっかい太陽が昇り始めた。地球の自転速度で昇ってくる太陽のエナジーが明るさと熱をもってアメリカの大地を照らし始める。砂漠に点在する1000m級の山々の稜線をシルエットにしながら昇る朝日の荘厳さは、まさに厳しさと偉大さを人に誇示するように強烈だ。

 スタート地点で、前日フィニッシュした目印のテープを外すことから、寛平さんの今日が始まる。本日の目標は45キロ。前日は、42キロを昼飯休憩を除くと5時間10分くらいのハイペースで走ってしまった。この手のウルトラマラソンでは1キロを9〜10分くらいのゆっくりしたペースで走ればよく、速く走ることよりも、確実に、身体へのダメージを残さない走りを続けることが必要。

 7時35分、下り坂の道をスタート。快晴なのに気温は上がってこない。砂漠の気候は不思議だ。眼下には果てが見えないくらい広い、砂漠と塩湖と呼ばれるBristol Dry Lake(渇いた湖)。いくつもの木の無い山々、Old Woman MountainとかTurtle Mountainとか名前がついているが、砂漠全体にはDevil's Play Ground(悪魔の遊び場)という名前がついている。厭な名前だけどなるほどなぁ、感心もしてしまう。昨日ほど強風ではないが今日も風が強い。そして昨日は最後まで追い風で「カミカゼが吹いた!」と喜んでいたら今日は逆風、まさに悪魔だ。

 しかし、寛平さんの走りは今日も堅調。路面の荒らさを逆に使ってうまく走っている。時折走り抜ける車のドライバーからも挨拶とも応援ともつかない声がかかる。寛平さんには励みの声掛けになる。塩湖のど真ん中で昼。強風を避けて塩の採取工場のほっ建て小屋に潜りこみ、慌ただしくお粥とサバ缶で食事。うまくできた、できない、などとあれこれ云いながら食べる飯は楽しい。食事を作る私は、かなり必死だが、それも和みの話題になる。

 Amboyで名高いルート66に合流した。60年代まだ白黒テレビ全盛の頃、R66を舞台にしたドラマがヒットした。日本でも流行った記憶がある。北米を横断する代表的なルートである。今はフリーウェイが発達して通行する車も減ったが、今でもハーレーダビットソンなどを駆って走るライダーには人気の街道である。1854年に造られたという「ROYS CAFE」で一服。店の親爺さん、多分70歳くらいだろうか?R66でCAFEをやっているのが自慢なのだろう、R66のことを尋ねると嬉々としていろいろ話してくれた。映画のロケに使われた話やポスターの撮影があったとか・・・。

 さて、寛平さん、今日の予定は45kmだったが、この段階ですでに44km、「まあ、あと一時間走りましょか?」である。1mでも先に行きたい、という気持ちが常にある。夕暮れまでの時間、疲れ具合、明日の休息日のことなどを考えながらの発言と受けとめた。こちらは本人の表情や走るフォームの変化、コースの難易などを考えて、了解を出す。

 16時09分、50.2km地点で本日の走りを切り上げる。

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