アースマラソンサポート記 北米横断-一時帰国

2009年4月 9日
 久しぶりの更新です。

 一時帰国した4月4日。成田から湘南に戻る途中の車窓から見えたものは、満開のソメイヨシノでした。「ああ、春たけなわなんだなぁ・・」と、日本を感じた次第。まるまる1ヶ月日本を留守にしていたので浦島かな?と思っていたけど、蕾も固かった桜が爽やかに花開いていただけでした。

 さて、寛平さんは私が一時帰国したあともサポートクルーと淡々と走っているのだろう、と思いきや、入れ代わりで現地に入った日テレの大澤さんたちの来訪を受けて、弾けてしまったようだ。山岳地帯が近づき、雪が降ったこともあろうが、ガス抜きがエスカレートして、「痛飲の一夜」を過ごしてしまったらしい。好物のビールをしこたま飲んで、寝過ごし、二日酔いの1日になった、と現地からの報告だった。昨年の難波出発から鴨川の尋常ならざる見送り、地獄の67日間「奇跡の太平洋横断」を比企さんとやり遂げ、光代夫人との束の間の再会も「ゆっくり」はままならないまま、陸路北米横断に旅立ってしまったんだから、まあ、致し方なし、としなければなるまい。アースの旅はまだまだ先が長いから、これからも時々は「ガス抜き」の1日をお作りして差し上げなければ、張り倒されてしまうかもしれない(笑)。

 シカゴに向かうルートは次第次第にあのロッキーに近づいているわけで、標高は上り下りしながらも確実に上がってきているのだろう。今回の私の一時帰国は、今後のルートと進捗工程の再チェック、サポート体制の見直し、不足資器材の補充などをすることが目的(会社の仕事は?何とかなるんだろう・・)で、あちこち飛び回りながら日々を過ごしている。

 カリフォルニアからアリゾナにかけて続いたあの果てしもない砂漠と直線路を走り抜けてきたことが、現場を離れてわずか一週間しか経っていないのに、随分昔の出来事のような気もするし、つい昨日のような気もして、何とも不思議な感覚である。毎朝5時に起きて電気釜のスイッチを入れるところから1日が始まり、午前中は寛平さんとスタッフのお粥を中心とした食事づくり。風と砂ホコリと火おこしに悪戦苦闘し、出来上がった食事にホコリが入ったといっては怒り、の日々が懐かしいし、一刻もはやく現場に戻りたい気分。再渡米まであと5日、しかない。アメリカの地図を改めて眺めてみると、まだまだ先は遥か彼方でしかないのである。寛平さん、もうちょっと待っててください。

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