野辺山100kmの大会運営から戻りました。

2009年5月18日
090518nobeyama.jpg  過去最悪の雨で終始し、参加者・関係者が大変な思いをした昨日とは打って変わった今朝は快晴の八ヶ岳野辺山。頂を残雪で化粧した連峰は真っ青は空に映え清新な景観を見せていた(くやしい!!)

 今回で15回目を迎えたこの大会、15年前に立ち上げたときは果たしてこんな厳しいコースの100kmに参加者がどれだけ来るんだろう?と?マークもあったものである。ここのコースは高低差が1000m近くある上に八ヶ岳林道の不整地や馬越峠という600m以上も上らなければならない大きな峠越えが70km付近から延々と続くこと、とどめは90km過ぎから野辺山のゴールに向かう道筋がダラダラとした上り坂であり、どっこいなかなかゴールさせてくれない、という一筋縄ではゆかないコース、ということもあったからだ。

 この大会を立ち上げようとしたもうひとつの要素は八ヶ岳山麓の圧倒的な自然の存在だった。八ヶ岳林道は普段は一般人の立ち入りが禁じられていて、その分自然はしっかり守られていた。自生している白樺や唐松、ぶななどの原生林が豊かで、その結果、野生生物も植物も数多く生息・繁茂している。特に最初林道に足を踏み入れたとき、巨大な角を持った大シカとの遭遇には震えるような感動と「やるならここだ!」ということを決定づけた出来事だったのである。こんな手つかずの自然の中にコースを描き、それによって生まれた厳しいけれど走り甲斐のあるタフな大会が生まれたら・・さぞやゴールを果たすランナーは簡単な100kmのコースを攻略する以上の醍醐味を堪能してくれるのでは?と思ったものである。こんな個人的な思惑をしっかり受け止めてくれた南牧村と関係者のみなさんの寛容と協力には、ただただ感謝の気持ちしかない。スポーツイベントは単に愛好者の満足ゆく内容を目指すだけでなく、イベントを支えてくれる地元の機関と地元の人々にとって意味あるものにしてゆかなければならない、という思いをつくづく感じた15回大会だった。

 ところで寛平さん、遂に北米半分地点に到達した!
 アースの現場を離れて今日で11日。KANSAS州を抜けてMissouri州に入った。日本を出てから既に5ヶ月が経っている。連日のように現地在住の日本人の皆さんが応援や差し入れに来てくれて賑やかな毎日を送っているとは思うが、さみしがりやの寛平さんのことだから内心はブルーになっているだろう。ということで、最強の助っ人兼最大の甘え相手の光代夫人が今頃は合流し、元祖相方でエオラス号でも共に生死を分かち合った比企さんも一緒なので、夢のような日々を過ごしているに違いない。

 NYまで、そうは言っても未だ半分、2500kmくらいが残っているわけだから、オアシスでの憩いの後は再び修行僧のような生活が待っているはず。ちょっとでも寛平さんやスタッフの和みになればいいと思っているので、月末前には現地に行くつもりだ。

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