アースマラソンサポート記 北米横断76日目

2009年6月 7日
 朝から雨模様の空。
 気温はさほど低くない。右足の痛みも小康状態を保っている。スタート前にNYまでの残りの距離と、使える日数を伝え、シカゴ以後の進み方を説明した。残りの距離1500km弱を一か月で行くとなれば毎日の走行距離を上げ、5勤1休の1クールで280kmを確実に進まないと間に合わなくなる。計算上は60・60・40・60・60km。今までの寛平さんの走り方ならスタート時刻を朝7時前で守れれば、大きな負担にはならずに行けるだろう。走りに専念できる環境をサポートクルーが作ってゆかなければならない。

 R30とFW55のクロスするところで初めて「Chicago」の標識が見えた。シカゴ、シカゴと目標にしていた都市の名前。今回、寛平さんは2016東京オリンピック招致大使という役目も担っている。沿道に応援に来てくれる日本人をはじめ、機会あるごとに「オリンピックを東京へ」ということをお願いしたりと、バリバリのPR活動をしてきている。シカゴも最終候補都市に残っているから、いわば東京はライバル関係にある。そのシカゴがいつしかアースマラソン中の目標地点にもなっていたから標識が見えた時には感慨がきっとあったはず。
 このころから雨が本格化してくる。風もあるので雨は横殴り。寛平さん、傘をもって走り始めた。ちょっと滑稽な姿だが本人納得の選択。

 11:47、23.9km地点。
 Jolietという古い町並みに入ると建物の雰囲気も都会の匂いがいっぱいだ。煉瓦づくりの建物や船を通すためのハネ橋がかかった川、マイナーリーグのスタジアムなど、ここだけが都会といった雰囲気。Joliet Township High Schoolのクラシカルな建物がひときわ目を引く。大きくいうとシカゴ中心部からそれでもおよそ70kmほど離れているのだが・・。シカゴは全米有数の都市だから人も車も家の数もすべてが過密。したがって治安もその分よくない。日本人は国内治安が良いから治安が悪いところでの危機意識が薄い。このことはこれからNYに向かうにあたってクルー一人一人が意識してゆかなければならないことだ。
 いつの間にか雨があがり、蒸し暑さが増してきている。

 13:20。R30 New Lenox 35km地点。
 Jolietを抜けてしばらくゆくと再び緑が多くなってくる。足の痛みは小康状態を保っているらしく、「大丈夫や・・よかったわぁホンマに」と寛平さん。足はアースの要だから他の何よりも一番ほっとしたのは寛平さん自身だろう。足は甲の部分だけでなく、庇って走るために靭帯や筋肉の他の部分にも負担がかかり、かなりの痛みがあるだろうが表情には全く変化はみられない。穏やかそのものだ。最近の寛平さんからは、疲れや痛み、暑さや寒さからくる苛立ちなど、それが読み取れるほど表情には表わさなくなってきている。ありのままを受容する「心の力」が生まれ始めているのではないか?
 「13:36かあ・・ほな5kmゆこか」と言い残して走りはじめた。New Lenox〜Frankfort〜Richton Parkに向かうR30は交通量が多く、歩道がないため走りにくい。

 14:25 40km地点。
 大勢の日本人応援者。地元シカゴの日本人学校の教師をしている家族が大挙応援に来てくれていた。CoCo一番カレーを1杯、オレンジ1個とお茶の昼食を済ます。残りは20kmだ。45km地点、走ることに集中しはじめて寛平さんの走りも滑らかになる。ジュースを1本、ぐいっと飲んで「あと15km!」の声に「よっしゃ!!」を残して走りだす。「脚はどうですか?」「あかんなぁ・・」といいながらもフォームに大きな崩れは感じられない。この15kmを、5km40〜42分でカバー。見事な走りで60kmを完走。

 寛平さんは元来痛みに強い人だ。それよりもそれを表に出さないのでわからない。これは想像だが、痛みの原因は本人も当然わかっていて、どういう走りをすれば痛みをカバーし、更にしっかり走れるフォームをつくれるか?を常に同時模索し走りのバリエーションを増やしている。進化を続けているのである。今夜は本人のリクエストで久しぶりの寿司を堪能した。

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