2009年10月アーカイブ

 ルフトハンザ航空の飛行機でチェコの首都プラハに入ったのは26日。
翌朝、およそひと月ぶりで寛平さんに会うため、プラハからおよそ50km離れた今日のランニングポイントに向かった。
‘93年それまでのチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離して現在のチェコになった国だから建国して16年が経過したところ。建国後、民主化が始まり今は政治・文化・経済が徐々に自由主義の国に近づきつつあるので、首都プラハ市内にはマクドナルドやSONYなどの看板も目立つ。とはいえ国民の生活程度はまだまだ低く、月収で10万円程度だという。
 整備された高速道路を30分ほど走り、一般道に出たところで寛平さんを待った。
秋から春先までの5ヶ月間、チェコは雲が低く垂れこめ、鉛色の空になるらしい。今日もそんな鉛色の空、これが定番。
気温は12~3度くらいらしいがじっとしているとやはりじんわり寒い。走るには快適な気温だと思うが・・・。
 プラハ郊外に出るとあたりはすっかり農村風景。耕された畑が延々と続き、紅葉に色づいた小さな森が点在する。黄色や紅色に枯れた木々が常緑樹に混じって美しい。時折トラクターを運転する農家の民にすれ違うほか人の姿は見えない。・・・人口500数十万人の国だから人は少なくてあたりまえか・・・?
 11時30分頃、見慣れた右肩下がりのフォーム、頭にはまっ黒のカンペリーノハット、そしてこの日は真っ赤なウィンドウブレーカーといういでたち。
 コペンハーゲン以来の再会。顔の色つやもよく元気そうだ。
 「どうですか?(笑)」
 「ああ、調子ええよ~」といった具合。
ぶーやんが自転車を組み立ててくれたので今日は伴走。コペンを出てからサポーターも二人になり、寛平さんは一人で走ることが基本になっている。だから日本から応援にきた人が折々自転車で伴走するくらい。
 日本のことや走ってきた都市や国のこと、食い物のことなど四方山の話をする。こういった時間が気分転換にもなっていい感じなんだろうと思う。なにせ、通訳・ぶーやん・寛平さんのたった三人の旅だから

 10月23日(金)に、FMヨコハマ10月スタートの生ワイド番組「E-ne!~good for you~」(月~金:13時~17時オンエア)内。15時15分から10分間程、生出演します!
 DJのMITSUMIさんは今回フルマラソンにチャレンジします。

番組ブログ

秋日和、という言葉がピッタリな陽気。
湘南大磯は穏やかな相模湾からの心地よい潮風が城山や万台こゆるぎの森にかけてゆったりと流れている。
かって多くの宰相や文人墨客が愛したこの地は、首都東京からも遠からず、西には名湯の数々を誇る箱根が控え、東には中世日本の歴史舞台となった鎌倉がある。温暖な気候にも恵まれた土地柄だ。
今日は日頃からうかがってでも会いたいと願っていた大磯に住む皆さんとお会いする機会を頂くことができた。大磯小学校の招きでPTAのお母さん方への講演である。
小学校に通うお子さんのお母さんたちだが、この方たちが将来の日本を背負う“国の宝”(古いのかな?)を育ててくれる皆さん、と考えると、四方山を語りながらも心中(宜しく頼みますよ!)と願わずにはいられなかったのが本音である。
語りは24時間テレビのことや健康管理のこと、ランニングの効用のことなどに加え、大磯町と私とのつながりなどを伝えさせてもらった。
大磯は私が幼少のころから海水浴などで毎年訪れていたところで、長じた後も「いつかはこの地で住んでみたい・・」というほどの思いを抱いていたところでランニングをするには格好の環境を備えたところでもある。
日本最古といわれる花水川サイクリングロードや湘南平を頂く高麗山の山なみ、そして大磯海岸の砂浜、と体調や目的に応じて縦横にコースがとれる大磯はまさにベストポジションといえる。勿論、大磯町内には鴫立庵をはじめとした幾多の歴史的事物も点在しているから走りながらこれらの事物をへ巡ることも楽しめる。
大げさに言えば山紫水明に恵まれた土地柄、それが大磯なのである。

台風18号

2009年10月 9日
 台風18号が日本列島縦断する形で上陸した。
 近年、関東エリアへの台風の襲来はあまり無かったので久々の上陸、という印象がある。台風の規模をあらわす低気圧値や最大風速値、移動速度や暴風雨範囲などから「巨大規模」という気象庁の表現だった。

 以前勤務していた会社は電力供給会社だったので、ひとたび台風襲来、といえば台風の推移を監視し、電力設備の被害状況把握と対策のために徹夜で仕事をしたものである。温暖化やエルニーニョ現象など台風発生メカニズムが変わり、台風の規模も巨大化の傾向にあるような気がする。

 日本列島は環太平洋の位置から洋上で発生した台風が9~10月に上陸することが通常で、四季の移り変わりとも密接な関係を紡いでいるから大騒ぎするよりも来る自然現象を受け止め、その蹂躙のなかで工夫して生活するくらいの心をもちたいものである。なぜなら、所詮、人間は自然界で生かされている生きものでしかないからである。

KANPEI EARTH Marathon-091003
 2016年開催のオリンピック候補都市に残っていた東京が最終プレゼンの結果、落選した。マドリッド、リオデジャネイロ、シカゴ、東京の4都市で開催地に選ばれたのは南米ブラジルの首都リオデジャネイロだった。

 東京招致の大使としてコペンハーゲンをひとつの目標として26000キロをひた走り、海を命懸けで渡って招致委員会を応援してきた我らが寛平さんの願いも虚しく、北欧の海の藻屑と化してしまったのである。

 寛平さんも大使として頑張ってきた。というよりアースマラソンでのひとつの大きな目標になってきた感があった。最終投票の様子をリアルに体験することなど初めてだろうし、結果をまのあたりにして何を感じたのだろうか? 

 明日から再び日本に向けたアースの旅が始まる。孤独な大地との語らいを、見知らぬ異国の人々とのふれあいを、どう感じながら走ってゆくのたまろう?「コツコツゆきますワ・・」と笑顔で応えてくれる気がする。

KANPEI EARTH Marathon-091003-2

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