2009年9月アーカイブ

サポート熱

2009年9月26日
090926ひらつか24時間リレー
 午後2時スタートで「24時間リレーマラソンin湘南ひらつか」の大会が始まった。この大会は今回で12回目の開催になるが、'91年から6年間はランナーズが開催していた。今では各地で時間リレーマラソンがかなりの数開催されているが、平塚の大会が全国大会としてはおそらく草分けだろう。

 会場の平塚市総合運動公園にはJリーグ湘南ベルマーレの本拠地があったり、公式試合がおこなわれる野球場があったりして施設は充実、市民の憩いの場所としても素晴らしいところである。24時間~6時間までのリレーと単独走が種目にあるから近年、この手の大会が人気になっている。その秘密はテントを張って仲間や家族でランニングを楽しみながら同じ目的を目指す、というコンセプトやシチュエーションが受け入れられているからだろう。参加者層もグッと若いため、スタート時の盛り上がりも乗りも結構ハイテンションだ。私もスターターをさせてもらい、若い息吹をどっさり頂いた。さあ、24時間後のゴールを目指して思いっきり楽しもう!!

 そんな平塚の状況と平行して遥か地中海のアテネではヘビーなスパルタスロンレースもおこなわれている。
 25日18時時点で、現地からは男子の優勝が関家良一さん、女子の優勝が稲垣寿美恵さん、2位に松田嘉子さんが入った、という一報が入ってきた。上位19位までのリザルトにはなんと7人の日本人の名前があった、凄い!

 日本のウルトラランニング界は年々その熱が高まってきているが、走りの実力も世界のトップレベル、いや、おそらくはNo.1なんだろうと思う。今日現在、国内で大会運営に携わり、海外の国際レースに関わり、寛平さんのアースマラソンにも携われている、という状況を鑑みると何とも感慨深いものを感じる。
 ランニングを愛する皆さんの表現の場面(環境)にもっともっとサポートしたい、という自分の中の熱を実感した一日である。
2009スパルタスロンスタート 今朝7時、ギリシャスパルタスロンレースがスタートしたらしい。 スタート時の気温が17度、晴天。日中はおそらく気温が上がりランナーにとっては厳しいレースになるのではないだろうか?

 このレース、第一関門ヘラスカンファクトリー(コリントス)81km地点までの走り方がポイント。湿度が低いから発汗の自覚がなく、知らず知らずに脱水症にかかってしまうことが多く、脱力感や鳥肌が立ち始めたら危険だ。軽度であっても一旦脱水症にかかると一切の食べ物、水分を身体が受付けなくなるから走りを続けることができなくなってしまう。

 今年は久しぶりに関屋良一さんをはじめ大滝さんや女子の坂本明子さん、稲垣さんなど優勝経験者が多数出場しているので、彼ら彼女たちの活躍を期待したい。また、全盲ランナー長野の保科さんも出場している。サポートには沖山健司さんらがついているので、レースのメイキングは万全だろう。

 ともあれ、日本のウルトラランナーが憧れ、夢見るスパルタスロンレース、どんなドラマが待ち受けているか?完走・リタイアに関係なく、参加者の夫々が内なる実りを持ち帰ってくれることを期待したい。

 スパルタスロンの現場も気になるところだが、28日からは寛平さんのアースマラソンサポートのためコペンハーゲンに出かけなければならない。
2009丹後ウルトラ
 京丹後市で開催された「歴史街道丹後100キロウルトラマラソン」に行った。
 この大会は今から9年以前に私が立ち上げた大会。普通、マラソン大会の立ち上げは開催したいと考えた自治体や陸上競技協会、地元の有志が発案するケースが多いが、この大会は私がウルトラマラソンの普及と近畿エリアで全国大会を開きたい、という発意で持ち込んだものである。勿論、地元丹後地域の経済振興や観光振興といった地域の発展に繫がる目的は言わずもがな、である。

 大体、中央や五大都市以外にこれらのスポーツイベント企画を持ち込むと、都会のイベント業者が商売を目的に来た、といった受け取られ方をすることが殆どで、ランニングスポーツがもつ効果やその普及状態、大会を開催することでもたらされる振興効果はなかなか理解してもらうのに時間がかかるものである。丹後にあってもそれはご他聞にもれず、だったが丹後エリアの地域事情やスポーツ大会から産み出される副次効果を理解くださる方々の力もあって、第一回が開催され今日に至っている。

 今回は久しぶりに100キロの全コースを改めて見直してみた。
 現在は「京丹後市」という自治体名になっているが、コースは網野・久美浜・峰山・弥栄・大宮・丹後の6地域に及び、ランナーにとっては起伏と風光に富んだ内容になっている。丹後半島は周囲が複雑にいりくんでいて、その風光は「丹後松島」と呼ばれるほど美しい。これは半島の背骨が山になってるためで、道路が整備されるまではおそらく人が一人やっと通れるくらいの道しかなかったことが想像される。それだけに道が整備された今日でも海と山が創り出す自然の造形は見るものを驚嘆させるほど美しいのである。
 コースの途中には竜神峠や碇高原などへの長く勾配のきつい坂が配されているが、ランナーは100キロのコースを自分の人生になぞらえてコツコツこれらの坂道を克服してゆく。

 途中、給水や給食を補充するエイドステーションがあり、このステーションでは物の補給以外にボランティアスタッフとのささやかな交流を持つこともできる。
 ウルトラマラソンは、時として人生の日々と同様孤独な瞬間を味わうことがある。そんなときの他人(スタッフや応援者)の一言が大きな力になったり、自分を奮い立たせるきっかけになったりもする。10時間以上(60kmは9時間30分だが)の長い時間をかけて走るウルトラマラソンは、筋肉痛との闘いでもあるが一方では自分の精神を涵養してくれるスポーツでもある。

 人間は目的や目標がないと「浮遊した時間」を過ごしてしまうある意味弱い生き物なのかも知れない。逆に言えばしっかりした目標・目的を持てた者は工夫と創意に満ちた生き方を見つけることもできるのではないだろうか?ランニングとても単純なスポーツだが反面、非常に奥行きも間口も広くて深いスポーツ。先ずは歩きから始め、健丈な心身を自分の中に見つけることができたなら、いつかはウルトラマラソンを体験してみてもらいたい。そして、美しい風光と恵まれた海産物、遥か古代の歴史に彩られた京丹後の地を是非一度は訪れて欲しいものである。

「人」と「自然」

2009年9月16日
 9月に入り夜風の中にしっかりと秋色を感じるようになった。
 温暖化の影響なのどうかは分からないが日本のみならず世界中あちこちで気象変動が起こっていて熱帯雨林のパプアニューギニアで雨が極端に少なくなっていたり、地中海性気候のギリシャも夏の期間が短くなったり、勿論、四季のある日本でも四季の中身が微妙に変化したり、局地的豪雨の回数が増えて水害があちこちで発生したり、ともかく地球の自然環境は確実に変化してきている。地球はこの先一体どうなちゃうんだろう?

 24時間テレビはイモトの頑張りで終わり、彼女は既にフィンランドロケを終えて次のロケ地ペルーへ昨日旅立った。まさに地球の果てまで・・・である。23才という若さとバイタリティ・感性がイモトを動かしているんだろう。24時間テレビで全国区になったイモトにとって、漸くメジャーに向かってスタートを切った感じ。山あり谷ありのタレント人生をこれから漕ぎ出すイモトアヤコ、素直で明るく、謙虚さの下地をもった彼女の長~い旅を陰から見守ってゆこうと思う。

 夏の戦争が終わり、再び日常が戻ってきた。
 9月は中旬に京丹後でウルトラマラソンがあり、下旬には平塚で24時間のリレーマラソンがある。いずれも前年以上の参加者が集まっている。近年のランニング愛好者の増加は、「大会」という環境づくりをしている我々にとっては大変嬉しいことだが、ランニングの本質(楽しむこと、自分の身体を考えること、そして走力を高めること)を折に触れて考え、更に言えば「人」と「自然」との関わり、交わりを肌で感じる機会を是非、体験して欲しいと思う。
24時間テレビ(2009)  24時間テレビイモトの126km激走は多くの視聴者・沿道の応援者に感動と元気を与えてくれた。

 仕事の都合で十分な練習を積むことができずに本番を迎えた本人はパンクしそうなくらいの重圧と緊張・不安を小さな身体で精一杯受け止めながらスタート時刻を待ったことだと思う。右膝の不安、練習不足、不規則な生活からくる疲労など劣勢をカバーするのは23才の若さと恵まれた下半身の筋力しかなかった。

 練習初日に痛めた右ひざは飛び跳ねる短距離ランナーゆえのフォームが引き起こしたもの。ウルトラマラソンのフォームは上下動を極力無くして地面を摺るように走らないと衝撃が大きくなり関節や靭帯に細かなキズをつけてしまう。イモトは初回の練習15km走で右外側靭帯を痛めてしまったため、以後の限られた練習では膝を上げずキックを使わない走り方を身につけることにポイントを絞ることにした。後は体幹部を鍛える筋力補強と筋疲労を取り除くための身体の手入れに重点を置くしかなかった。

 本番での走法も工夫が必要だった。126kmというビックサイトまでの道程には数え切れないアップダウンがあったため、下り坂は徹底して歩くことで膝への負担を減らし、走りは歩幅を狭く取ってピッチで距離を稼ぐ走りに徹してもらった。それでも無意識のうちに右足をかばう走り方になっていたから後半は左鼠頚部(大腿直筋・腸脛靱帯付け根)を痛める結果となり、その激痛を気力で凌ぎながらゴールを目指す。

 ビックサイトまで残り18kmあたりからは台風11号の余波で都心は大雨。イモトは疲労・痛みに加え雨による冷えにも苦しめられることになった。何度も腕の時計に目をやるイモト。やがて脇を走るテレビ中継車から流れるゴール会場の様子から時間内ゴール不可能を知ったイモトの目から溢れる涙が頬を伝わる。 イモトは強かった!降りしきる雨を衝いて懸命に腕を振る。前に出ない脚を引っ張るようにまた腕を振る。

 やがて、威嚇するようにも、大きな寛容を湛えた懐のようにも見えるビッグサイトのゲートがイモトの視覚一杯に広がった。階段を一歩ずつかみ締めるように、傷んだ両脚を引きずるようにしてのぼってゆくイモト。大雨にも関わらずぎっしり埋め尽くされるほどの出迎え観衆から悲鳴に近い音響となって「イモト、イモト」の声が周囲に反響する。ビックサイト会場繫がる階段をのぼり切ったイモトを「あとは一人で・・・」と、そっとリリースして見送った。時計は9時10分を少し回っていた。

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