2009年7月アーカイブ
寛平さん、比企さん、光代夫人、比企夫人の表情からは今年の元旦、千葉県鴨川港を出港した時のような悲壮感は見られない。やはり、冬の太平洋横断を成し遂げた経験がそうさせるのだろうか?終始和やかで表情には余裕さえ感じられる。太平洋出発前、比企さんは「太平洋が劣悪な環境で越える分、大西洋はベストシーズンで走れるんだ」、と。このあたりも余裕の裏付けなのかもしれない。
出港して10分、NY湾リバティ島に立つ「自由の女神」付近でエオラスはメーンマストに帆を張った。フランスがアメリカ独立100年を祝ってアメリカに贈ったといわれる自由の女神像。移民たちの希望を表す松明を右手に持ち、アメリカ独立宣言の日「1776年7月4日」を刻印した銘板を左手に抱え、7つの大陸を表す王冠を戴き、切られた鎖が自由を表す、といわれる自由の女神。破天荒な方法での地球一周を企て、太平洋を横断、北米大陸4800kmを走破し、寛平さんは次なるステージ大西洋に旅立った。
33日間を予定している大西洋横断は、8月17日前後にフランスルアーブル港に到着するはずだ。冬の太平洋では日焼けすらなかった二人だが、1ヶ月後再会するときには真っ黒になっているに違いない。
夕方、北米横断チーム(陸路班)と大西洋横断チーム(海路班)とでホテル近くの寿司屋さんで再び慰労会。4か月に及んだ北米横断のエピソードや太平洋横断の寛平さん比企さんのバトル秘話に花が咲く。アースマラソンのような長期間に及ぶ冒険イベントは当然のことながら海でも陸でも試行錯誤の連続。その中から最良の方法を模索し、構築して前の目標に向かう、といったやり方で進むしかない。陸路で編成されるメンバーも当然の如く最少人員で最大効率を生み出す作業のなってくるから、兼務兼務の連続で、誰が何を、といった分離作業では立ち行かないのが現場。持ち場をこなした上で全体の不足を補いあってゆく。そこからチームワークが生まれてくる。当然、濃密な人間関係が紡がれるからいわば共に闘う戦友になるのである。現代社会が失いかけている共同意識・協調性・扶助、互譲の精神、といった人間がもち得る叡知をアースが教えてくれている。そんなひとときの晩餐だった。
明日一日、NYの休日を楽しんだら、いよいよ第3ステージの大西洋横断が始まる。
アースマラソン第二ステージといえる北米横断を無事に終えた寛平さん、今日はセントラルパーク西側にあるホテルで休養とメディカルチェックで過ごした。昨日の天気とは打って変わり朝から秋を思わせるような肌寒さだが、平日のパーク周辺は早朝にも関わらずジョガーが多い。
マンハッタンの中心部にあるクリニックで横断後のメディカルチェックにあたる診断を受けた。4か月4800km以上を走ってきた寛平さんだったが、健康状態は至って良好、やはり鉄人である。
サポートクルーのメンバーはこの間もサポート機材の片づけやデータ整理で相変わらず忙しく動き回っていた。一方、次の大西洋横断航海に臨む元マネージャーの比企さんは数キロ離れたところにあるヨットハーバー「ママロネック」で太平洋を乗り切ったエオラス号の点検と機材の積み込みに余念がない。陸路と海路、それぞれのサポートクルーがアースマラソンという冒険を進めるためにそれぞれの持ち場で作業に取り組んでいる。北米横断4800kmには実にいろいろな出来事があり、そのひとつひとつの出来事はまたあらためて振り返ることにする。
夕方は寛平さんのはからいでスタッフが焼肉パーティーに誘われた。
自転車に乗って寛平さんの映像を撮り続け、ブログで寛平さんの様子を伝え続けたブーやん、シカゴまでの予定で通訳についたムギ君は結局NYまでを完走し、奥さんと愛息とともに。寛平さんの体調管理のために来たマジシャン池田君は終始寛平さんのビールの相手とルート確認・食事の準備と八面六臂の活躍。東京の事務局で現場・事務局・光代夫人との間の情報を繋ぎ続けた竹野さん、などアース北米を支えた直近の面々がどっさりあった北米横断の四方山話で盛り上がり、実に楽しいひとときを過ごさせてもらった。
濃厚で画期的だったアースの第二ステージ北米横断が間もなく終わろうとしている。
アース北米横断のラストランはニュージャージー州エリザベス近郊からの27キロになった。
3月13日(日本時間)LAロングビーチを出発してから実に延べ121日を費やしての北米横断4830km。
最終日のスタート前、1ヶ月ぶりに寛平さんに会ったが、血色もよく元気そうで安心した。ハドソン川にかかるワシントンブリッジを渡ると景色は一変してNYのど真ん中に入る。おびただしい広告のサインが林立し、るつぼと言われる多様な人種の人々が溢れる街NY。エンターテイメントのメッカ、ブロードウェイを抜け、タイムズスクエアを左手に見ながらマンハッタンを抜けるとゴール予定のハドソン川畔のpier45までは残り4kmもない。
アリゾナ、コロラド、カンザスの砂漠もミズーリの農業地帯もなく、セントラルパークの緑と高層ビル群、ハドソン川のゆったりした流れを見ながらラストラン。
さぁ、ゴールを目指す寛平さんとサポートクルーの池田、ムギ、ブーやんを出迎えに行こう!
18年ぶりのNY。前回来たときはニューヨークシティマラソンだった。当時から参加者が3万人を超えるビックマラソンでその規模に圧倒された記憶がある。今回はアースマラソンで北米横断を完走する寛平さんの出迎えだ。
アースでは北米全工程をサポートすることが叶わず、NYで出迎えに甘んじざるを得ない自分の心にはすきま風というか消化不良のような状態で寛平さんを迎えることには一抹どころかサポーターとして大きな欠落感すら感じる。
ランナーサポートは、コース設定や体力を見た走行距離の設定などの技術的なアドバイスや孤独感を癒すメンタル面のケア、障害を防ぐためのケアのために存在するものである。このサポートは数日だけで済むものではなく、がっぷり組んで一貫した取り組みを果たさないと満足のゆくこともできないものである。その意味では寛平さん北米横断の2/3しかサポートできなかった自分への苛立ちにも繋がっているような気がする。
北米4800kmの完走を果たそうとしている寛平さんはウルトラランナーとしてだけでなく、人間として大きな尊敬を感じているし、北米横断による錬磨がヨーロッパやユーラシアを走るうえで大きな自信を培ったことだと思う。
明日の夕方、メディアやたくさんの応援者出迎えの中、NYのpier45にゴールする寛平さんを私は静かに迎えたいと思う、「お疲れさま」と心でつぶやきながら。


