2010年9月アーカイブ

20100926レオ二ダス像前からのサムネール画像9/26
 レースが終わり、スパルタの町は爽やかに晴れ渡っている。町中にはレースを終えた各国のランナーが足を引きずったりしながら往き来している。皆、一様に憑きものとれたみたいな表情をしている。

 ゛300゛という映画で描かれたスパルタ王レオ二ダスで有名な町。そのレオ二ダス像の前で熊本から出場の坂本明子さんとパチり。
 初日の後半は曇りでサンガス山標高1200m前後では時折大粒の雨が降りランナーを苦しめた。ちょうど150km辺り。暑さ、風、低温、雨、起伏、こんな条件を克服しないと246kmのスパルタスロンは完走できない。
 人はなぜ走るのか?というテーマがこのレースを見ているといつも頭をよぎる。例年、男女とも上位に日本人が入ってくるのだが、今年はイタリア、ドイツ勢が強く、日本人は戦前の予想を覆して上位入賞することはなかった。こんな年もある。

 36時間もの長い時間サポートについているとランナーとレースを共有するようになり、一歩でも1mでもゴールに近づいて欲しい、という気持ちになる。マッサージケアは技術的カバーよりも「心を伝えるケア」に変質してくるのだ。

 246km、それは紀元前5世紀、伝令フィディピデスがアテネからスパルタまで援軍要請のために走った距離。彼の思いと自分の思いを重ね合わせた350名のランナー達の宴が間もなく終幕を迎えようとしている。

20100925スパルタスロンリポート2日目
9/24
20100923スパルタスロン スタート  午前7時、アクロポリスパルテノン神殿下のスタート地点から2010スパルタスロン参加者およそ350名が246km先のゴールスパルタに向けて出発した。
 今年はスパルタスロンの起源となったペルシャ戦争から数えて2500年にあたる記念年、この節目にあたる年、レースはどんなドラマが展開されるのか?
9/21
 ギリシャに向けて出発。
 今回はスイス経由でトランジットはチューリッヒ。スパルタスロンに参加する何人かのランナーと同行で懐かしい顔ぶれに会い何となくホッとする。
9/19
20100919丹後ウルトラマラソン

 10回目を迎えた丹後ウルトラマラソンが無事に終わった。

 晴天に恵まれた大会。100kmのコースを回って感じたことは、地元の皆さんがあちこちに私設エイドを出してくれ、ランナーへのサービスを自主的に展開してくれていたこと、主だったエイドでいろんな工夫を凝らしてくれ、さまざまな食べ物でもてなしをしてくれたことである。
 続けることで育んでこられた運営の精度があがってきたことを実感できたことである。

季節の変わり目

2010年9月17日
9/16
 秋雨がきて、気温が下がり猛暑が去り、秋の気配くる。まだ思い出したように暑い日があるみたいだけど、季節はようやく変わり目にきている。確実に忍び寄る秋だが年々季節の境目を自覚出来ないほど四季は崩れ始め、あと30年もしたら四季は無くなり二季になるようなシナリオでは?

マラソンDVD収録

2010年9月15日
20100914野辺山高原でのマラソンDVD撮影 9/14
 マラソンにチャレンジする初心者向けDVDの制作撮影が無事に完了。
 今回、ロケ地に選んだ先は長野県野辺山。私たちがウルトラマラソンを開催しているところ。今はまだ高原野菜の収穫と出荷の最盛期だ。畑にはレタスや白菜の緑が鮮やかで立ち働く皆さんの姿をみていると大地が生きていることがひしひしと伝わってくる。

 今回、モデルには高尾憲司君と五島千寿さん、今川夫妻に協力頂いた。二時間もののDVD分を二日間で撮りあげなければならなかったため、かなりハードなスケジュールで収録をしたので皆さん、お疲れさまでした、そしてありがとうございました。
 このDVDは12月に発売されると思いますが、内容は初心者にも分かりやすくなっているので是非ご覧になってください。

 野辺山は間もなく夏が終わり秋、そして寒さの厳しい冬を迎えます。10月下旬、八ヶ岳南麓を彩る紅葉は私は日本有数の鮮やかさだと思っています。次回はその紅葉の頃に野辺山を訪れたいと思います。

20年前の思い出

2010年9月12日
2010091124時間ゆめリレーin湘南ひらつか河野太郎さんと9/12
 湘南国際でお世話になっている河野太郎さんが24時間リレーマラソンin湘南ひらつかの会場に来られた。

 実は20年前、平塚で全国初の24時間リレーを開催した時、太郎さんの父君、河野洋平さんが大会会長を務めてくださり、当時まだ20代だった太郎さんも会場に見えていた、という懐かしい思い出があり、ちょっと感慨に浸った次第。

人生に感動を

2010年9月12日
9/12
 24時間リレーマラソンin湘南ひらつか大会が無事に終了。およそ3000人のランニング愛好者が平塚総合公園に集い、仲間と一緒に二日間を楽しんだ。24時間を共に走った仲間と迎えるエンディングはいつものことだがかなり感動的だ。
 無機的になってきた社会でスポーツで身近に感動が得られることって素晴らしいと思う。人生に感動を覚えられなくなったらおしまいだ。みんな何か感動できるものをぜひ見つけて欲しい。

2010091124時間ゆめリレーin湘南ひらつか
9/11~12
 24時間リレーマラソン湘南ひらつか大会を開催。
 3000人の皆さんが平塚総合公園に集結。まだまた暑さが残る中、チームで個人で時間走を楽しんでいる。開設して20年以上を経た公園は、豊かな緑が茂り木陰に入るとささやかだが、ホッとできる風がそよぐ。24時間は長丁場だが、みんなうまく休憩を入れたり、食事をしたり、キャンプ感覚でランニングを楽しんでいる。昼、夕方、夜間、早朝とそれぞれ移り変わる公園の表情を楽しむのも興がある。

股関節近況

2010年9月 3日
9/3
 今日は理学療法日。24時間本番ではついつい最後の皇居脇から走ってしまい、北の丸の上りでは二回ほど左足股関節部に力が入らず、一瞬「抜けた!」ような感覚があった。もちろん一瞬の出来事でその後は何でも無かったが、今日はその辺りを中心にチェックしてもらった。結果、手術部位にの動きに問題はなかったので、あとは7日の定期検診レントゲンで変位がなければ大丈夫だ。
 今回、本番でも一番気になっていたのは腰のヘルニアで2~3腰椎が危うい状態に進行していて両足の痺れはきつかった。ヘルニア手術は最近医学で内視鏡手術がダメージが少ないらしいので近々ドクターに相談してみたい、と考えている。
9/2
 24時間テレビが終わり、皆さんから沢山の励ましと応援のメール、電話を頂きました。ありがとうございます。

 私はランニングが大好きで、24時間ランナーも彼女(彼?)の完走したい強い思いをアシスタントをしただけでした。いつも通りであれば練習から本番までずっと並走し、走りへの不安やめげそうになる気持ちを直に支えてあげたかったのですが、カラダの具合が悪くてそれをすることができず、本当に悔しかったのが本音。愛ちゃん自身の頑張りが武道館ゴールのすべてでした。
 今回の完走が彼女のこれからに何かとして残ってくれたらいいな、と思っています。私はカラダガどこまで戻るかわかりませんが自分の与えられた宿題がひとつできた、と捉えてコツコツ地道に積み上げを図ってゆこうと思います。

 来年は24時間マラソンが始まってちょうど20年になります。順調に進んでくれれば寛平さんも日本に戻っていてくれると思うので24時間を一緒にできたら・・と思ったりしています。

アシスト

2010年9月 1日
20100830はるな愛さんとサポートスタッフ 8/30
 毎年、24時間テレビが終わった後、つまり本番が明けたは翌日あたりだが、「自分は本当にランナーが望んだサポートができた?」ということを反芻する。カラダの手入れや走り方・歩き方、沿道での安全確保、食べ物の質量など技術的なこともそうだが、なによりランナーが自分の思いや願いなど“人生”をどれだけ吐き出せたか?そこをアシストすることが本当にできたか?を自問する。

 はるな愛ちゃんとの24時間テレビ本番は終わったけど、いつかそのあたりを彼女の大好きな焼き肉かカレーを食べながら話してみたい。
 例年以上に暑く長い一日が終わり私の夏も終わりました。愛ちゃん、お疲れさま、そして本当にありがとう!

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