2008年4月アーカイブ

戦士の休息

2008年4月 9日
モロッコから飛行機に乗るため、パリに移動。 つかの間の休み。
サハラマラソンからパリへ サハラマラソンからパリへ

 4月6日(日):ゴールから一夜明け、今日は表彰式。ワルザザール市内のホテルが会場。表彰式前半は、完走者にレース中に所持していたセーフティキットとの交換で完走Tシャツが渡された。あとはオフィシャルグッズ販売が同じ会場で行われている。販売品はTシャツ、ポロシャツ、パーカー、ウィンドジャケット、スタッフキャップ、バフなど。
 販売で参考になったのは買い上げシートで順番に商品を記入してゆき、最後に一括して清算する方法。カード、キャッシュのいずれも可能、というやりかた。式典は大会ディレクターの挨拶→来賓紹介→スポンサー紹介→ボランティア紹介→大会功績者表彰→10~1位表彰、までをすべて大会ディレクターが一人で進行していた。大会参加費も高いが、イベントの組み立て、構成は随所に参加者への気配りがなされていて、大いに今後の参考になった。
 明日は砂漠(モロッコ)を離れる。

4月5日(土):今日はwinningrun。オーバーナイト75kmを走りきり、今年は第六日目にフルマラソンが設定されるという昨年より17Km距離が伸びたサハラ。この六日間を走り切ったランナーだけに与えられたwinningrun。気温は相変わらず高く、足場も前日と何ら変わらない状況ながらランナーは一様に嬉々としてゴールをめざしている。 9時11分にSTARTした寛平さんも11時47分、17.5kmを無事に完走、歓喜のゴールを果たした。58才、芸人であり鉄人でもある間寛平は10kgの荷物を背負い、不慣れな自給自足に悪戦苦闘し、それでも245Km7日間のサハラマラソンを制覇したのである。周到な準備と度重ねたシュミレーションでレースに臨んだ他のランナーと違い、ランニングのトレーニングだけで臨んだサハラでまた新たなランナーとしての逞しさを身につけたことだと思う。スパルタスロン、レイドゴロワーズ、ウエスタンステーツ、神戸~東京600キロ、「人間・寛平」はこの先どこまで走り続けて行くのだろうか?
4月4日(金):レース6日目。オーバーナイトをクリアしたランナー達、十分な休養を取ってレースに臨む。このタイミングで設定されたステージ距離が42.195Km。憎い設定だ。寛平さん、アルファ米の食べ方を失敗して投棄、更に口に合わないことを理由にカレーラーメン二個とパスタまで棄ててしまった。合計4食を捨てたことになる。こんなサバイバルレースでの食事投棄は自殺行為。この42kmクリアに不安が広がる。 正午の気温は46度。微風、暑さは相変わらずきつい。朝、ワカメご飯ほか2食分を食べてレースに臨んだ。炭水化物のエネルギーはあまり持続力がないため、どれだけ持つか?あとはエネルギーが切れた後の走りがうまくゆくのか?水・塩の補給をしてくれるか?不安要素は数え始めたらきりがない。暑さの中、後半をゆくランナー達の足取りは一様に重く、暑さがこたえているように見える。 だが… こんな中で寛平さんに奇跡的な走りを見せ付けられる。CP1~3までの31kmをキロ10~11分のペースでカバーしてきたのだ。しかもテンションは上がりっぱなし。強靱な精神力とスタミナをまのあたりにすることになった。寛平ランニングの真骨頂!結局、17時21分ゴール。思いの外元気。さすがである。これで明日のウィニングランの17.5kmを残すのみとなった。 最終日前夜、事務局はランナーに粋なプレゼントを用意していた。なんと、パリからオペラのステージを呼んでいたのである。ランナーテントを円形に配置し、その中央にステージを組んだ本格的なもの。満天の星空の下、ランナー達の六日間におよぶ砂漠との闘いを癒すにはこれ以上ない贅沢な趣向、いかにもフランス人らしい粋な演出である。またいつか、見渡す限りの星空、時折掠める流れ星を再びみることができるだろうか? 夕方、片道2kmほどのジョギングを楽しむ。小高い丘に登り、見下ろすベースキャンプの佇まいはサハラマラソンでしか見ることができない砂漠の夕景に溶け込んだ美しい光景だった。広大な砂漠に一陣の砂煙を巻き上げながら走るジープの姿が網膜に焼き付いた。  
4月3日(木):昨夜、寛平さんがゴールしたため、今日は終日オフ。サハラの砂漠で30分ジョギングを楽しむ。腰の具合が本調子なら思い切り走れる、と思うと、改めて筋力回復しないと何もできないことを痛感!日中48度もの高温になるのだが、微風のある砂漠は思いのほか走りやすく感じた。しかし、天候は目まぐるしく変わり、一度無風となると48度の高温が容赦なく襲いかかり、熱射の世界に引きずりこまれる。また、ビバーグから3km離れてしまうと、ビバーグが見えなくなり、自分の位置すら分からなくなる砂漠。 昼夜の寒暖差が35度以上あるため、特に朝方の寒さはこたえる。寒さで目が覚めるほどだ。 夜、砂漠の星は美しい。オリオン、大熊、北斗七星などが降るようにきらめいている。こんな星空を眺めることができただけでサハラにきた甲斐がある。明日は再び熱砂の中。第五ステージは「42.195キロ」。
4月2日(水):第四ステージはオーバーナイト75.5km。「一気に走る」と云っていた寛平さん、公言通り3日午前2時06分、16時間51分でゴール。走り込んできた成果か、速度11~12分/kmで安定していたが、かなりの疲労感が見える。 ゴール後、小さなトラブル。このステージはオーバーナイトでゴールを目指すが、ゴールできないランナーのためにビバーグできるCPが設定されている(CP4)。そのため主ビバーグのテントがCP4に回されていた。そのあおりで、主ビバーグ選手用テントが足らず、寛平さんが入るべきテントが無かったのだ。疲れ切った寛平さん、珍しくキレたらしい。弱いランナーのために回された事情を説明され、寛平さんも納得。しかし、実際のところ、地べたに寝かされるのはかなりきついはず。疲れと痛さ、寒さの中でビバーグすることになった。 ただ、第四ステージをクリアした段階で、休憩時間が31時間確保でき、自分自身の建て直しを図れることになった。寛平さんにとっては砂漠、暗闇、疲労、孤独、コースアウトの不安など、未知のレースでは、既知の環境との違いや環境への対応など、走力以外の総合力が完走の決め手になるということを改めて実感しているのではないだろうか?
4月1日(火):大会4日目。1~3日まで装備、砂、暑さに苦しんだ寛平さんも3日目の40.5kmで13分/kmの歩きペースを掴めたため気持ちにゆとりが生まれた。深いサンドの足場とうまく馴れ合い、規則正しいペースでCPをクリアしてゆく。元々走りの体力は十分ある。マメへの対応がうまくできればRunへの切り替えを徐々に始めるのではないか?今日のオーバーナイト75Kmが楽しみだ。
3月31日(月)大会3日目、38km。無風快晴。午前9時のSTART、ランナー全体的に初日の元気が感じられない。正直だ。前日、START直後の砂丘越えとコース終盤の砂丘越えがランナーに疲労をもたらした。出鼻を挫くフランス人の考えそうなコース設定だ。無風と乾いた路面からの照り返しが容赦なくランナーを苦しめるコース。遮る木立の一本もない砂漠はきつい。CPでは通常の倍量の塩タプレットが配られていた。 このレースのポイントは一週間分の食料や着替え・ケア用品類など自分が持つ荷物のパッキング、砂対策としてのシューズの選び方と工夫、そして暑さと風対策、ビバーク時の防寒・防災砂などである。リュックの背負い方やストックの使い方など、工夫と予行演習も必須。 寛平さん、8時間24分をかけて第二ステージ完了。
3月30日(日)午前6時、この日は朝から風が強く、どんより曇った空。気温も低く、肌寒い。しかし、砂漠の気候は短時間で目まぐるしく変化する。どうなるかと思われた風もSTART時には止み、熱く、乾いたサハラを象徴するような気候になっていた。眼前にはまるで別世界に見える砂漠の丘陵が立ちはだかるように横たわっている。その姿は淡いマホガニー色をした、たおやかな色彩でランナー達を見下ろしている。美しい砂の造形は触れた途端、絡み付くようにランナーから四肢の力を奪いとってゆくが、悪魔の顔を決してあからさまにはみせはしない。 午前9時30分、コースディレクターの合図で7日間のレースの幕は切って下ろされた。ラクダがコースを誘うようにランナーと並走し、大会の雰囲気を盛り上げてくれる。第一ステージは31.6km。砂漠の粘った足場、重い荷物、灼熱の太陽、想像以上の乾燥、これらのハードルを越えて行くランナーをしっかり見つめてゆきたい。
標高950mワルザザートのホテルからレース出発地点までおよそ350km、車で7時間の移動。町を出ると辺りの景色は一変、赤茶けた大地の連続になる。時折、深い緑の麦畑と椰子の木に似た高木樹のオアシスが現われては消えて行く。アラジンの物語に出てくる風景そのものだ。茶色と緑のコントラストが美しい、が、その風景からは人間の立ち入りを拒む自然からの圧力がほとばしり出ているようだ。堆積した砂岩は奇怪な模様を紬だし、大地は岩から砂利、砂へと風化してゆく時間による変化が次第に現れて見える。いよいよ砂漠に入ってきた。車窓からみえる景色は山が無くなり地平線に変わってきた。
坂本がサハラで日々書き留めていた同行記もメール送信されてきました。順次アップいたしますので、ご一読くださいませ。
このご報告がみなさまにできて社員一同ホッといたしております。
6日夕方16時過ぎ、モロッコにいる坂本から「寛平さん、無事完走!」という連絡がきました。最終ステージを終え、747人中537位。詳細はフランスに戻ったころに聞き出したいと思います。
 昨日、夕方18時、予告もなくその電話はなりました。「坂本だけど・・・」「わぁ〜社長!生きてましたぁ!」ザーザーザー・・・プチッ・・・「あれ?」と、無残に切れた電話で一瞬、不安に陥りましたが、すぐにまた電話がなりました。「これからステージ4が始まるところですか?」「違うよ。今、オーバーナイトを終えたところだよ」「体調はどうなんですか?」「順調、順調」と、いうことで、思いのほか元気な声に社員一同、安心した次第でした。(ご心配おかけしました)
 ところで、オーバーナイトを終えた間寛平さんの記録は・・・750人中(関門クリア者が減りました)454位、タイムは16時間50分52秒でした。(大会オフィシャルHP調べ)
 実は、3月30日 レースに入って以来、携帯がつながらず、無事なのか蠍にかじられて!?いるのか、心配するばかり・・・でおります。ですが・・・
大会のオフィシャルページをみますと、ステージ3を終え、寛平さんは参加者956人中624位、タイムは24時間14分55秒、トップランナーとの差は15時間40分38秒。関門はクリアしている模様です(ホッ)。ちなみに、ステージ3(40.5km)の朝8時の気温は19.7度、12時30分の気温はなんと!48度・・・さすが、サハラ砂漠(汗)。・・・ということで、坂本からの連絡が入り次第、本人の状況をお伝えします。ご了承ください。

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